こんにちは。桐光学院です。
今日は北浜校ブログから抜粋してお届けいたします。
生徒の皆さん,赤字のところは覚えてくださいね。
1167年に武士として初めて
太政大臣になったのは
平清盛です。
平安時代の終わりは平氏が政治の中心でした。
平清盛が亡くなったあとで平氏の中心人物になったのが平宗盛(たいらのむねもり)です。
平氏は
源頼朝の弟である
源義経によって
壇ノ浦(山口県)で滅ぼされました。
平宗盛も処刑されてしまします。
宗盛は
遠江(とおとうみ・今の静岡県西部)の
国司だったことがあります。
それが縁で知り合った女性が熊野御前(ゆやごぜん)です。
熊野御前は,池田(現在の磐田市池田)の出身だと言われています。
宗盛の妻となった熊野御前は京都で暮らします。
そして,何年かが過ぎて,故郷にいる母が病気であるという知らせを受け取ります。
「故郷にいる病気の母を見舞いたい」ということを宗盛に伝えました。
宗盛は「清水寺で花見をしてからにしてくれ」と言います。
熊野御前のことを愛するあまり,聞き入れてくれません。
母親のことが心配でたまらない熊野御前ですが,宗盛の言葉には逆らえません。
一緒に清水寺に行くことになります。
花見をしていると雨が降ってきました。
修学旅行…雨…という言葉からこの話を思い出し朝,行興寺に行っていました。
このお寺には,熊野御前が植えたとされる藤があります。
それが有名な「熊野の長フジ」
熊野御前の話の続き
清水寺の花見の最中に雨が降り,熊野御前は次のような和歌を詠みます。
いかにせん 都の春も惜しけれど なれし東(あづま)の花や散るらん
(都も離れがたいですが,故郷で命を散らそうとしている母親が心配です という意味です) 「東の花」は故郷にいる母親のことです。
熊野御前の母を思う心に打たれた宗盛はついに別れを決心します。
そして熊野御前は故郷に帰って母親に会うことができました。
昔の人も現代人も家族に対する思いは,たぶん同じです。
花を愛する心も季節感も。それを感じるところに古文を勉強する意味はあるのかもしれません。
その思いをストレートに表現するときもありますし,和歌や詩で間接的に表現することもあります。昔 そんなことがあったのだなぁ この歌を詠んだ人がこの辺りで暮らしていたのだなぁ ということを考えながら花を見てきました。もっと早くいけばもっと美しい花が見られたのでしょうけれど。
中3生は多くの中学が4月に修学旅行。できれば,晴れていた方がよっかたのかもしれませんが,雨の中の修学旅行もそれはそれで趣があるのではないでしょうか。
昔 この場所でこんなことがあったのだなぁ,こういう人たちが暮らしていたのだなぁ,などと感じてくることは大切だと思います。
中3生の皆さんにとって,思い出深い修学旅行となりますように。